Controversiae

セネカControversiaeが意外と面白い。この本では当時弁論の練習として行われていた模擬裁判弁論から、様々な弁論家の印象的な論じ方を集めているのだが、その際弁論家の人となりについて紹介することもあって、そこがなかなか楽しく読める。

例えば、アルフィウス・フラウスという弁論家がいる。大セネカは彼を次のように紹介する。

 アルフィウス・フラウスは未だ少年に過ぎなかった時、すでに非常に良い評判を得ていて、ローマ人民にその雄弁で知られていたほどであった。ケスティウスはいつも、彼の才能を認めるとともに、恐れてもいた。彼が言うには、これほど早く偉大になってしまった才能は長続きしないという。しかしアルフィウス・フラウスの弁論はあまりに多くの人が集まって聞いたため、ケスティウスもあえて彼の後に話そうとはめったにしない程であった。アルフィウス・フラウス自身、自分の才能に対してなしうる限りの害をなしたが、それでも生来の力は彼において際立っていた。長い年月の後、怠惰によって破壊され、詩への耽溺によって弱められた時でも、彼の才能はその力を保っていた。加えて、雄弁の外にあるものが常に彼の雄弁をよく見せていた。少年期には若さが才能のけばけばしい飾りであったし、青年期には怠惰がそうであった。 (Con., 1.1.22)

ケスティウスというのはアルフィウス・フラウスの師匠で、当時学生に公開で模擬裁判弁論をさせるというのはよくあったことらしい。その上で最後に師匠が上手にやって見せて締めくくる、という順番だったのだろうが、教師にそれをためらわせるというのだから大したものだ。そんな輝かしい才能も、食いつぶしていくと青年期までしか持たないと言うのも悲しい。それに、怠惰が雄弁をよく見せていたというのも、ろくに勉強してないのにいい成績をとるやつのことはローマ人にもかっこよくみえたのだろうか、と思うと面白い。

アルフィウス・フラウスは別の章(3.7)でもでてきて、そこでもまたケスティウスに批判され、詩から表現を採ってきたことを戒められている。弁論が衰退しつつあった当時においては、若者が詩を読んだり歌を歌ったりして軟弱になっているのがいけない、という批判は一種の紋切型だったそうだが、ここで皮肉なのは、アルフィウス・フラウスが批判された表現の出典がオウィディウスArs amatoriaにあるということだ。というのもオウィディウスもかつては弁論を学ぶ身だったが、やがて詩へと転身したという、よく似た経歴だからだ。オウィディウスの場合は言うまでもなく大成したが、アルフィウス・フラウスについては青年期以降の話は伝わっていないようである。


Declamations, Volume I: Controversiae, Books 1-6 (Loeb Classical Library)

Declamations, Volume I: Controversiae, Books 1-6 (Loeb Classical Library)