フランス・ルネサンスの文明

ルネサンスというと、様々な碩学たちが現れてギリシアやローマの古典の再興に尽力した、輝かしい知の時代というイメージだが、ここで示される姿は、それを否定するとまでは言わなくとも、それとはまたちがった一面を見せてくれる。

まず冒頭からして当時の人々がいかに「田舎もの」だったかをこれでもかと見せてくる。ここで描かれるパリの姿など人の詰まった農村という他なく、「都会」などというものは存在しなかったとわかる。その他にも、当時の邸宅には廊下がなかった(したがってよその部屋に用事があったら、他人の部屋を突っ切らないといけない)とか、セントラルヒーティングなど存在しないので領主たちもみんなといっしょに台所で食事をしていたとか、心暖まる(体は冷える)逸話がたくさんある。

こんな調子で定住すべき都市は存在しない、人はいつ死ぬかわからない、家族もしょっちゅう離散する、とあってはルネサンスの人々が旅する人々だったというのも驚きではなくなる。そんな心性をこれでもかと示す最高のエピソードがエラスムスの『対話集』から引かれている。

今しも四人の男、まともに結婚し、立派な職を持ち、一戸を構えて穏やかに暮らしている町人が四人、夕方になって古馴染同士酒を汲みかわしている。少々飲み過ぎの気味さえあり、葡萄酒で頭がかっかとしてくる。一人が唐突に言い出す、「俺が好きなら一緒にどうだ……ガリシアの聖ヤコブ様までお参りに行くぞ」。酔払いの突然の発作だ。するともう一人がすっくと立ち上がって、「この俺はサンティヤゴ・デ・コンポステーラにゃ行かないね、ローマへ行くぞ!」残る二人が宥めにかかる。まず最初にガリシアの涯てなるサンティヤゴへ行こう。そこからローマへ回ろうじゃないか……俺たちも行くぜ。そこで四人は大杯になみなみと葡萄酒を満たし、順に回し飲む。固めの杯だ。定法通りに誓いが立てられた以上、後へは退けぬ。杯は飲みほされぬ、旅立たんいざ、である。そこで一同は出発した。さてこの四人の巡礼のうち、一人はイスパニアで死んでしまい、もう一人はイタリアで死ぬ。三人目はフィレンツェで重病の床に臥し、彼と別れた最後の一人だけが一年後に、疲労困憊し、老けこみ、尾羽打ち枯らして戻ってくる…… (p.64, 二宮敬訳)

なんだかラブレーの本から出てきたような奴らだが、これこそまさに「ルネサンス的」なのだろう。

さらに最初に触れた知の探求というテーマについても非常に面白い姿が示されている。なかでも訳注で紹介されているギヨーム・ビュデが受けたギリシア語教育についての回想は衝撃で、こんな山師のような教師からエラスムスなどの碩学が輩出されたのかと思うと、ルネサンスというのが奇跡のように思われてくる。

しかしこの本の最大の見所は、当時絶世の美女とされた人々の肖像画をこき下ろしてみせるフェーブルの舌鋒の鋭さにあるということは論をまたないであろう。


フランス・ルネサンスの文明―人間と社会の四つのイメージ (ちくま学芸文庫)

フランス・ルネサンスの文明―人間と社会の四つのイメージ (ちくま学芸文庫)