ダンテを読まずに

「文献学だけはだめですよ、文献学をやると最悪なことになりますからね⋯⋯」(イヨネスコ『授業』)

Voyage

この愛想のいい土着民が教えてくれた言葉を私が反復しようとしたとき、その土着民は叫んだ。「おやめなさい。ひとつの言葉が使えるのは一度だけです」。
ボッツァロ『旅』(アントワーヌ・コンパニョン著, 『第二の手、または引用の作業』, p.127, 今井勉訳)


この文章はもともとジャン・ポーランが『タルブの花』でエピグラフとして引用していて、コンパニョンはそれを孫引きしている。しかしこのボッツァロなる人物については検索してみても全く情報が得られない。コンパニョンにしても一応出典は示しているのだが、ポーランの示したものの丸写しで、「ポーランの『タルブの花』に引用されている」と予防線を張っている。おそらくコンパニョンも原典に辿りつけなかったのだろう。それで調べている内に出くわした情報だが、ポーランはしばしば偽の引用をでっち上げたらしい[pdf]。仮にこのエピグラフも偽の引用で、そもそも出典など存在しないのだとすると面白い。というのもポーランの『タルブの花』はまさに文学や言葉によそから持ってきたものを持ち込むことについての文章だからだ。この本もなかなか一筋縄ではいかず、安直な読解を許さない政治性を感じさせるものだったが、そこにさらに新たなねじれを持ち込んでくれそうだ。

まあそんなややこしい話は脇においておくとしても、この一文の喚起するイメージは非常に鮮烈なものがある。なんだかこの文章を元にして短編のひとつくらいでっち上げられそうだ。もしそんなことが出来る人がいたら、ぜひボッツァロ著『旅』として世に放ってほしい。ますます事態がややこしくなって面白いだろう。

ところで偽の引用からなるエピグラフというと、思い出すのはスタンダールだ。彼の『赤と黒』も各章にエピグラフが付いていたが、あれもかなりの量作者によるでっち上げらしい。やはりエピグラフというのは一文だけ切り取ってくるものだから、思いついたはいいもののうまく作品のなかに落とし込めない決め文句なんかを使うのに都合がいいのかもしれない。こうしてみると偽のエピグラフというのは探せばいろいろありそうだ。それをまとめてみたり、そこからふくらませた短篇集なんてできたら読んでみたい。


第二の手、または引用の作業 (言語の政治)

第二の手、または引用の作業 (言語の政治)