'It's Greek to me'再考

 英語の言い回しの一つに It's Greek to me と言うものがある。直訳すれば「これは私にはギリシア語同然だ」とでもなろうが、意味としてはつまり「ちんぷんかんぷんで理解できない」ということになる。この表現の歴史は古く、有名どころではシェイクスピアに以下のような箇所がある。

カッシウス:シセローは何か言ったか?
キャスカ :言った、ギリシア語を喋った。
カッシウス:なんと言ったのだ?
キャスカ :何を言うのだ、それが答えられるくらいなら、二度とお目にはかからぬ。とにかく、解った連中はおたがいに顔を見合わせて、にやにや笑いを浮かべ、首を振っていたが、このおれには、文字どおり、ちんぷんかんぷんのギリシアだった。(福田恆存訳, 「ジュリアス・シーザー」, 『新潮世界文学1シェイクスピアI』, 新潮社, 1968, p.98, 強調引用者)

Cassius Did Cicero say anything?
Casca Ay, he spoke Greek.
Cassius To what effect?
Casca Nay, an I tell you that, I'll ne'er look you i'th'face again. But those that understood him smiled at one another and shook their heads; but for mine own part, it was Greek to me. (Julius Caesar, Oxford University Press, The Oxford Shakespeare, ed. Arthur Humphreys, 1.2, l.275-281, p. 116-117, 強調引用者)

この表現はシェイクスピアの時代にはすでに慣用句と化していたらしい(v. OED, s.v. Greek, II.8.)。また、これに類した表現は西欧各語に存在し、フランス語ではギリシア語の代わりにヘブライ語だったりする。
さて、このあたりのことは実はすべて柳沼重剛, 「'It's Greek to me'考」(『語学者の散歩道』, 講談社現代文庫, 2008, p.2-14)に述べられている。そこで著者はこの表現にギリシア語が選ばれた理由について考察し、まず表記される文字の違いを挙げたあとに次のように述べている。

ここでいきなり私の独断と偏見を押し付けるのは恐縮だが、典型的な「ちんぷんかんぷんな」ことばとしてここで選ばれる光栄に浴するには、その言語が一方では近寄りがたく難しいと思われていると同時に、他方ではたいへん「すぐれた」「尊敬すべき」ことばだとも思われていなければならないと思うのだ。(p.6-7)

この考えは、この表現がルネサンス期以降、俗語に始まったという暗黙の前提に立っている。しかし、別の本によるとこの表現はラテン語にまで遡ることができるらしい。このブログで紹介されていたが、John Edwin Sandys, A History of classical scholarship, Cambridge University Press, 1903(Internet archive)には次のようにある。

ローマ法研究は12世紀初頭ボローニャで、イルネリウス(1113年ごろ)によって復興された。イルネリウスは講義でローマ法について解説しただけではなく、短い注釈(「欄外注 glosses」として知られるもの)の形で語学上の問題についても説明する習慣を導入した。[...]13世紀にはイルネリウスの例は同様にボローニャで教鞭をとったフィレンツェのアックルシウス(1260年没)によって受け継がれた。公開講義の折、ユスティニアヌスホメロスを引用している箇所に出くわすと、彼はいつも次のように言ったと伝えられている。「これはギリシア語であり、読むことができない Graecum est, nec potest legi」この表現は口頭での講義にのみ用いられたと見られ、その言い換えである「読まれない non legitur」は「これはギリシア語であるから、ここでは解説されない」以上のことは意味していないはずである。この表現は彼の『学説彙纂』の翻訳には見られない。アルベリコ・ジェントリ(1611年没)が示したように、その翻訳においてアックルシウスはテクストに出てきた数多くのギリシア語を適切に説明しているのである。しかしながら、もし先の表現がアックルシウスによって用いられたのだとすれば、それはこの学識ある法学者がギリシア語に疎かったからではなく、ギリシア語の知識に対する世間の目が彼を異端の誹りにさらす恐れがあり、それを避けるほうが賢明だと判断したからであろう。

Early in the twelfth century the study of Roman Law had been revived at Bologna by Irnerius (c. 1113), who, besides expounding the Roman code in lectures, introduced the custom of explaining verbal difficulties by means of brief annotations known as 'glosses'. [...] In the same century the example of Irnerius was followed by Accursius of Florence, who also taught at Bologna (d. 1260). Whenever in his public lectures he came upon a line of Homer quoted by Justinian, tradition describes him as saying: Graecum est, nec potest legi. The phrase would naturally occur in his oral teaching only, and its alternative form, non legitur, need mean nothing more than, 'This is Greek, and is not lectured upon '. It has not been found in the published Glosses of Accursius, who, in his translation of the Pandects, as was shown by Albericus Gentilis(d. 1611), correctly explains the large number of Greek words occurring in the text. It has been suggested, however, that if the phrase was used at all by Accursius, it was not due to any ignorance of Greek on the part of this learned lawyer, but to the fact that the public assumption of a knowledge of that language would have laid him open to an imputation of heresy which he deemed it prudent to avoid. (p.582-583, 強調原著者)

要約すると、この表現は13世紀の(ギリシア語の知識を持つ)ローマ法学者によって、異教的と言われないための予防線として用いられたと言われている。もちろん、現在の表現がここに直接由来するという証拠はない。しかし、アックルシウスのギリシア語に対する「無知」はルネサンス期の人文主義者たちから批判を受けたらしいので、可能性はあるように思う。もしそうならば、柳沼重剛の推測とはやや異なり、ギリシア語が異教の言葉として警戒されていたからこそ、「ちんぷんかんぷん」という予防線が張られたのだということになるだろう。