Virgil か Vergil か

ローマ最大の詩人、ウェルギリウス(Vergilius)の名前は西欧諸語に俗語化されると最初の e が i に変わることがある。例えば英語ではVirgil、フランス語ではVirgileといったつづりが一般的だ。この問題について、David Scott Wilson-Okamura, Virgil in the Renaissance, Cambridge, Cambridge University Press, 2010が冒頭の一章を割いて議論を展開しており、なかなか興味深かったので紹介してみたい。

さて、このつづりの変化がそもそもなぜ起きたのかという点は解明が難しいが、さまざまな可能性が挙げられている。
ラテン語としてよりなじみのある単語(vir=男、人)に引きずられたから
ウェルギリウスがかつてつけられていたあだ名Partheniasからvirgoを連想したから
ウェルギリウスの母の伝説的二つ名virga laureaやvirga populeaからの連想*1
と、まさに諸説紛々といった様相を呈している。この誤りは早くも4世紀に始まるとも言われているが、具体的な写本などが挙げられているわけではないので確認できなかった。ともかくある時点でVergiliusがVirgiliusとつづられた写本が出現し、以降この詩人の名前は混乱状態のまま伝えられ、そのまま俗語化したということらしい。

しかし本書が扱うのはその起源ではない。問題はなぜその誤りが現在に至るまで残っているのか、という点にある。というのも、この問題についての解答は15世紀末には提示されていたからである。
その解答はアンジェロ・ポリツィアーノの手による。彼はその著書『雑纂』中のある章(第77章)で、このローマの大詩人の名前はVergiliusとつづられるべきであると結論付けていたのだ*2ポリツィアーノの議論の仕方はそれ自体興味深いもので、とくに碑文のような非文献的資料を活用しているところが目を引く。

しかし、ポリツィアーノのこのような議論にもかかわらず、以降もVirgiliusという誤ったつづりは存続する。著者ウィルソン=オカムラはその理由をポリツィアーノが先の議論を出版した『雑纂』という形式にあるとみる。
中世以来、古典的テクストについての議論を展開するには、そのテクストに併置されたコメンタリーという形式を用いることが一般的だった。とくにウェルギリウスルネサンス期においてもラテン詩人の筆頭という地位は揺るがず*3、そのコメンタリーの需要も大変なものだった。原著では当時の出版状況をかなり詳細に検討しているがここでは割愛する。重要なのは、そういったコメンタリーのなかでも影響力(重版回数がその指標とされている)に差があり、しかも特にローマ末期のものが多く重版されているということだ。ウェルギリウスのどの作品を見ても、最も多く重版されたのはセルウィウス*4のもので、これは四世紀末から五世紀に書かれ、中世を通じて読み継がれてきたものだ。ルネサンス期といえども、中世以来読み継がれてきた注釈書は依然強い影響力を持っていたことがうかがえる。ほかにも上位に来るのはドナトゥスやプロブスなど、古代末期の注釈家の手によるものだ(ドナトゥスはルネサンス期に再発見されたテクストだが)。

では、同時代の人文主義者たちの手による注釈はどうだったか。たとえばクリストフォロ・ランディーノはウェルギリウスの『アエネーイス』に対する独特な新プラトン主義的・寓意的解釈(アエネーアースの旅を至高善に至る道のりとし、ディドーの逸話をその過程で乗り越えるべき(肉欲ではなく)権勢欲をあらわすとするなど*5)で知られるが、そのコメンタリーは15世紀末をピークにそれほど重版されず、大きな影響力は持ちえなかった。他方、同じ同時代でもバディウス・アスケンシウス(Badius Ascensius)のものは、特筆すべき独創性を持たないにもかかわらず、豊富な文法的注釈やほかの注釈家の引用が幸いしたのか16世紀を通じて重版されている。けっきょく市場を支配するのは読みの独創性よりも、古典的権威か、あるいは需要への一致ということなのだろう。従って、ポリツィアーノの『雑纂』もまた厳しい立場に置かれざるを得ない。文献学的問題を扱った短い文章を集めた本はあまりに専門家向け過ぎて、広い影響力を獲得することはできなかった。

以上はいわば消極的な理由だが、さらに積極的な理由もある。ポリツィアーノの主張に真っ向から異を唱えるコメンタリーが出現したのだ。ジョヴァンニ・ピエリオ・ヴァレリアーノ(Giovanni Pierio Valeriano)のCastigationes et variantes Virgilianae lectionis(1521)である。この本はいままでのコメンタリーと違い、純粋に文献学的な問題のみに論点を絞ったところに特徴があるらしい。つまりウェルギリウスの書いたことの文化的背景や解釈には踏み込まず、ウェルギリウスが「何と書いたか」という問題のみを扱ったのだ。
問題となるのは『農耕詩』末尾の四行である。そこにはこのような詩文が現れる(引用はヴァレリアーノの本に基づく(ただしWilson-Okamura本からの孫引き)。

Illo Virgilium me tempore dulcis alebat
Parthenope studiis florentem ignobilis oci:
Carmina qui lusi pastorum: audaxque iuuenta
Tityre te patule cecini sub tegmine phagi. (Geo. 4.563-566)

見てわかるように、ここには作者である詩人の名前が出てくる*6。したがって作者の名前を決定することが問題となるわけだ。ここで Virgilium という形が採用されていることからわかる通り、ヴァレリアーノはポリツィアーノの議論を参照しながらも、詩人の名前はVirgiliusだと結論する。その論拠はいくつかある。まず、ある古い写本では確かに詩人の名前がVergiliusと書かれている。しかしその写本では本来 i とともに書かれるべき単語が e を使って書かれるという事態が頻発している。したがってある時代に単語中の i が e に置換されるという現象が発生したと考えられる。実際、ワッロが指摘するように、ローマの神メルクリウスも元はミルクリウスという名前だったというではないか。また、碑文の中にもVirgiliusというつづりを持つものがある。

以上がヴァレリアーノの主張である。残念ながらこの結論は誤っていたのだが、ヴァレリアーノのコメンタリーは圧倒的影響力を持った。ポリツィアーノ同様ヴァレリアーノもまたメディチ家の庇護下にあったが、時代が下ったことでその権勢がさらに大きくなっていたという政治的変化も無視できない。今や教皇の座はメディチ家の人間によって占められ、そこに献呈されたヴァレリアーノの本は序文で海賊版を作るものは破門に処されると警告している。にもかかわらず(だからこそ?)ヴァレリアーノのコメンタリーはパリやリヨンで海賊版が出版され、1586年に至るまで重版が繰り返される。

 けっきょくポリツィアーノの議論はふさわしい影響力を得ることなく、Virgiliusというつづりは存続する。その外的要因は上に挙げたようなことなのだが、そこにはまたラテン語というものに対する態度そのものも関わってきているのではないか、と著者は最後に指摘する。それを象徴的に示すのがフランソワ・デュボワ(François Dubois)の書簡だ。そこで彼はさいきん多くのものがポリツィアーノの顰に倣い、あたらしい書き方でラテン語を書いていると述べる。しかし、最後には「習慣が新奇さに打ち克った Sed novitatem vicit consuetudo」と言う。著者いわく、この表現はポリツィアーノとデュボワのラテン語に対する態度の違いを示している。ポリツィアーノは中世のラテン語を認めず、古典古代のものこそ「正しい」ラテン語だとみなす。したがって、いまどれだけ多くの人がVirgiliusとつづっていようと、古典古代にVergiliusと書かれていたならそれこそが正しい。この態度は、いわばラテン語を死語として扱い、その変革を認めない立場だといえる。一方のデュボワは先の書簡で「習慣」と言っていることからも分かる通り、ラテン語をいまなお変化を続ける生きた言語と捉えている。VirgiliusかVergiliusかという問題は、このようなラテン語に対する態度の違いを写し出すものでもあった……というのがウィルソン=オカムラの結論である。

結論部分はより発展的議論への接続が可能だと思う(ポリツィアーノラテン語観は古さと新しさが錯綜しており、ルネサンスにおける歴史意識の問題を感じさせる)が、ウェルギリウスの名前の表記がラテン語を対象にあらわれた歴史意識の違いを背景に持つというのは魅力的な見立てだ。ウェルギリウスの名前の綴り一つとっても、エピソード的な問題に見えて意外と広い射程を持つようで興味深い。

*1:これら原因と目された逸話類はおもにDonatusの『ウェルギリウス伝』に由来するようだ。それについては紹介している本の著者、ウィルソン=オカムラによる英訳がインターネット上に公開されている。Donatus, Aelius. Life of Virgil. Trans. David Scott Wilson-Okamura. 1996. Rev. 2005, 2008. Online. Internet. Available HTTP: http://virgil.org/vitae/ (最終閲覧日時 2019年5月3日

*2:1489年版(おそらく初版)がInternet Archive上で閲覧できる https://archive.org/details/ita-bnc-in1-00000651-001/ 

*3:純粋な出版点数などからみると人気一位はオウィディウスだったかもしれないが、叢書類を出版するときなどはまずウェルギリウスからというのが多かったらしく、格としては筆頭の地位は確かだったようだ。また教育現場での採用率も高かったらしい。

*4:先に挙げたドナトゥスの一世代上にあたり、『ウェルギリウス伝』も、原型は多くの部分がセルウィウスの手によるものだと考えられている

*5:この読みには『神曲』の読書体験が影響しているらしく、ある種のアナクロニスムが指摘されていた。この問題と人文主義者の歴史意識から現代の西洋古典学における「理論」の問題に触れた論文があった(Craig Kallendorf, "Philology, the Reader, and the Nachleben of Classical Texts," Modern Philology, 92, 1994, p. 137-156)

*6:ちなみにいま問題なのは二語目のVirgiliumだが、それ以外の箇所も現在標準とされるテクストとは少しズレがある。